勉強の本質

【本質論】若者とは、いずれ天下を取る者②

2022-01-02

次の時代の感覚を知り、時代の流れを読むヒント

こんにちは。花丸たすく(@hanamarutask)です。

前回、若者がいずれ時代を変えていく存在であることに注目しました。

今回はその続編です。

注目するだけではいけません。むしろここから本題に入ります。

前回の記事をまだ読まれていない方は、ぜひこちらからお読みください。

さてビートルズに続き、もう一つ例を挙げてみます。

時代が作られた例 その2(ファミコン)

1983年、任天堂からファミコンが発売されました。

あれよあれよという間に当時の小・中学生をはじめ、多くの人の心をとらえ、ドラクエ3発売のころには、社会現象となりました。

まちがいなくファミコンをはじめとしたゲームは、当時の子供たちに大きな楽しみとワクワクと、思い出を与えてくれました。

ゲームに出てくる武器や都市の名前から、ケルトや神話など、日常の文化圏では触れることがない教養の基礎を教えてもらったりもしました。

それは、大人になっても、ドラクエやファイナルファンタジーのサウンドトラックを聞いて、癒されるときがあるほど、深く印象に刻まれたものなのです。

マーケティングの観点からいえば、ゲームというものが、インサイトに届く訴求ができていたわけです。

前時代の遊びからは得られなかった楽しみをバリエーション豊かに提供できたのですから。

その後、当然の流れとして、プレステなど今につながるゲーム機の多様化、ハイスペック化がなされ、発展を遂げていきます。


しかしながら、いずれにしても1980~90代のゲーム環境というのは、子供にとってはやりにくいことこの上ない状況でもありました。

親とゲーム機の相性が、すこぶる悪かったのです。

なぜでしょうか。

子どもが勉強そっちのけで、一日中ゲームをしているからです。

そして実際に、成績が振るわなかったからです。

たすく

ぼくも間違いなく、その一人です(ドヤ!)

ドヤ顔とか、いらんし

あかり


なので、テスト期間だったり、なにかあるとすぐゲーム機を隠されてしまいました。

それを子供たちは、押し入れの奥深くから見つけ出して、親が留守の間にやりまくる、といったことがそこら中で起きていました(40代くらいの方なら、わかりますよね)。

なにせ「ゲームは勉強の大敵」ですから。

ところがです。

そうして育った最初のゲーム世代が今、ちょうど社会の中堅から責任世代を担っています。

するとやはり、変化が起きてきます。

ゲームで育った世代は、よりリアルで、高度なスペックを求めます。

また、今度は親のほうが、子供とゲームで一緒に遊びたいと思うわけです。

当然の結果として、超ハイスペックなオンラインゲームが進化を続け、親子やチームで楽しめるゲームがどんどん生まれ続けるわけです。

それだけではありません。

現在では「E-スポーツ」という形で世界大会が開かれるなど、ゲームは一つの社会的地位を築いています。

またマンガやアニメなどもふくめ、かつての「勉強の大敵」はいまや、「クール・ジャパン」として、全世界に誇る日本のコンテンツとして発信され、世界の人々の心を鷲づかみにしています。

産業規模も優に1兆円を超え、ビジネスの点からみても、チャンスが多いわけです。

もちろん勉強アプリもたくさん開発されており、予備校や塾でもさまざま応用されています。

間違えても「ゲームは勉強の敵だ」などという視野では収まりようのない、大きな大きな流れが確立されているわけです。


個々には「付き合い方」を考えないといけませんが、それも十分に一回りした話です。

さらに最近ニュースに出ていましたが、今、特養ホームでもボケ防止の観点からファミコンを取り入れ、「麻雀」「パックマン」などをさせているところもあり、「楽しい」と喜ばれているそうです。

かつて怒っていた世代が、今度はそのゲームにお世話になる時代なのです。

ここにも時代が変わるということの、一つの象徴があるといえるでしょう。

以上、ビートルズとファミコンを例にとりましたが、こうした事例から次のことが学び取れます。

  • いつの時代も、若者はブームという形で次の時代の価値観を生みだし共有する。
  • それを前時代の価値観で生きてきた大人は否定する。
    批判の急先鋒は、今の社会で権限や影響力を持っている世代でもある。
  • しかしそれに耐えた価値観は、そののちにこれまでの常識をくつがえしていく。
  • このサイクルは15~30年ぐらいかかる。
  • でも、来るのか、来ないのかといえば、「必ず来る」ものである。

  

若者が育んだ価値観をあなどってはいけない

  

次の時代の価値観が、古い価値観によって否定される中で、じっくりと育っていく。

② その新しい価値観は、次世代の心をしっかりととらえているにもかかわらず、古い価値観からみればやや「理解不能」なもの。

 ⇒ そして、この2つがそろったパターンのときは、旧世代こそ注意が必要です!

  
世の流れについていけないおじさんほど、「最近の若い者は何考えているかわからん」みたいなことを言いますが、そもそもその若い子たちは、物心ついてから10年、20年は生きてきているわけです。

それだけの時間をかけて育んできた価値観なのです。

この当たり前の事実を理解していないと、「会話が通じない人」として、若い子から突き放されてしまうわけです。

時代の潮目を作るものは、若者のブームに限ったことではありません。


価値観のギャップから新しい流れが生まれますので、それは日常のいろんな局面でも起こります。

現在の旧世代の方々は、バブル前後のモーレツ社員の先輩のもとで長年仕事をし、付き合いをしてきた世代です。

たすく

現役会社員や生産世代に限って言うと、
旧価値観の影響を受けてきた方々がだいたい50~60代。
30代以下は「ゆとり世代」などで、価値観が旧世代とは異なります。
家の事もやるし、子供のおむつも変えるし、明日仕事があっても夜中に奥さんをかばってミルクをあげたりします。

また、旧世代は「飲ミュニケーション」が好きですが、30代以下はその付き合い方が面倒くさいので断ります。
その価値観の過渡期にあって、板挟みになっているのが、まさに40歳前後の世代です。
この辺の話題は別途、扱いますね。

独り言、長いわねー

あかり


そうした旧世代の方々からすれば、

最近の若手社員のように仕事も出世もほどほどにして、プライベートを充実させるほうに一生懸命だったりすることや、

「育休を半年取得させていただきます」と言われると、

「うぬぬ、君たちは・・・」となりやすいんじゃないですかね。

でもその時、上の世代の側こそ

新しい世代の価値観のもつ意味を見極めていくことが求められるのです

反射的に否定している場合ではありません


なぜなら、
  

いつの時代も取り残されるのは常に、

柔軟さを持とうとしなかったことで、

時代の重要な変化を理解することができず、

淘汰に対応できなかった側のほうだからです


若者だって、単に感覚だけで生きているわけではありません。

若者も人生の先輩たちのいろいろな生きざまをみてきています。

家庭を顧みないほどに、バリバリの仕事人間だったとしても、結局、人としてどうなのかと。またその人生はトータル「幸せ」だったのかと。

部下に関心を示さない、愛想もクソもなく会話が弾まない、一緒にいる時に吐き出す小言が不愉快、奥さんとコミュニケーションがうまく取れない、地域に友人がいない、この人から会社をとったら何も残らない、結局孤独じゃん--「ぼくらは、こんな魅力を感じない人になりたいとは、まったく思わない」という本音が、ともすれば隠れていたりするものですよね。
 

ある意味、「歴史的検証の結果」を直感的に感じ取っているわけです。

いわば、そこにつながる生き方を否定しているわけです。

単に昔と比べて「ゆるい」わけではないのです

 ※あくまで一つの見方です。ご了承ください。
 
だからこそ、上の世代が若い世代の感覚を知ることは、次の時代の感覚を知ることであり、これから来る時代の流れを読むヒントにもなるといえるでしょう。

「学び直し」ができない人の末路

時代は常に変わり続けていくものであり、その中で確固とした価値観をもつことは大切です。

しかしそれは、一つの考えに執着をし、凝り固まるということとはまた違う話です。

常に変わり続ける時代の中で生きていくぼくたちが、

できること。やるべきこと。

それは「学び直し」を続けることです。

逆に、新しい学びを受け入れられなくなった時点で、

人間としての幅と奥行きは「成長限界」をむかえてしまいます

 
失礼な言い方かもしれませんが、「老害」と呼ばれる方々がいます。

なぜそんな人が出てくるのでしょうか。

性格、気質、置かれている状況など、さまざま要因はあるでしょう。

しかし他人をとやかく論じるよりもまず、

「自分は将来、そんなふうになりたくない」と思う人が心掛けるべきこと。

それは、
 

「学び直し」を続けること。

そしてそのストレスから逃げないことです

 
それができたら、ある程度の世代間でコミュニケーションが円滑にとれる、いいエイジングを重ねていけるでしょう。

その点で「老害」というのは、学び直しによるのアップデートを避けた結果と言い換えることができます。

そしてこれは、年齢は関係ありません。

若者でも陥る人は陥ってしまいます。

頑固で鈍い人は、要注意です。
 

だからこそ、新しい学びを取り入れていくのを日常化することが大切です。

そして「人間的な柔軟さと心の若さを維持できている自分かどうか」を問い続けていくことも必要です。

「学び直し」とは単に知識欲のような話ではなく、

時代の中でよりよく生きていくために、自分を適応させ続けていく作業」なのです


それがなければ世代間コミュニケーションがとれず、なりたくない見本ともいうべき「会話の通じない上司(先輩)」へと一直線に向かってしまいます。

最後、まとめになりますが、政治や社会、経済などでいろんな流れが生まれますが、

 

多くの人々に共通する 腹の底にある感情、

「もっとこうなったらいいのに」という思いは、

いずれ表面化し、実現することになります。

 
その時、旧世代は、淘汰の危機に直面します。
 
しかしその時にジタバタしても、遅いのです。

なぜなら、そのための「学び直し」をしてこなかったのですから、小手先で乗り切ろうにも理解できないし、対応もできないのです。

ただ実際には、そうやって頭を打ってから「学び直し」をする方もいます。

そうすることでとらえ直しができるようになり、再び円満な状況を作っていかれる方も多くいらっしゃいます。

でも実は、それでもよいわけです。
 

学びの本質は、誰かと競争するためにあるのではなく、

「自分の人生を充実させるためにやっていくもの」ですから

 
さて、いかがだったでしょうか。

今回は、時代の流れからみえてくる、30代半ば以降の人が、特に気をつけるべき点を取り上げました。

たすく

ぼく自身のためにも書きました!

いずれ「本当の学び直しは、どうすればできるのか」についても、取り上げたいと思いますので、お楽しみに。

  

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・次回は「会社員を続けること」のメリットと「FIRE」を取り上げたいと思います。
お楽しみに。

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花丸たすく

▸高度情報処理技術者(ITストラテジスト)
▸データアナリスト、ラーニング・アドバイザー
▸「学び直し」に挑戦する社会人を応援
▸落ちこぼれ→京大→教育関連企業→現在
▸「学び直し」から得た「気づき」こそ成長の源泉、現実を変える力
▸武器になる「学び直し」のキホン
▸資格取得・大学受験のエッセンス
▸「勉強マインド」作りへ、自分のノウハウを全部公開

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