学歴主義よりも「人物本位」の時代へ
こんにちは。花丸たすく(@hanamarutask)です。
前回、日本社会の基礎をなす「学歴主義」を扱ってみました。
しかし昨今、「学歴主義が通用しない時代になった」ともいわれるようになっています。
それは一体、何が変わってきたのでしょうか。
価値観の変化により、求める学歴にも変化が
まず外堀のほうから話しますが、学歴を求める人にも、変化が出てきているようです。
先日も報道されていましたが、これまで日本トップクラスの超難関高校の生徒たちは、こぞって東大、京大または国公立医学部といったところを進学先に選んできました。
なかんずく高校での成績超優秀者は「東大理三」を志望してきました。
しかしです。
その流れにも今、少しずつ異変が起きはじめており、ハーバードをはじめ海外の一流大学に切り替える人が増えつつあるとのこと。
いろんな理由は考えられますが、エリート予備軍の内側からして、価値観の軸が変わってきているのです。
ある意味、「大学全入時代」になって、受験人口は減り続けている一方で、最高学府である東大や京大は、数十年、定員がほぼ変わっていません。
それは、どんどん入りやすくなっているということかもしれません。
ただしぼくが京大の試験問題を見る限り、試験問題はそれほど傾向が変わっていないので、合格難易度に大きな差はないようにも思いますが、競争相手は減っているのでしょう。
でもそうしたことは根本原因ではないと思います。
そしてそれ以上に、見落としてはならないことが一つ、あります。
絶対に見落としてはならない事実
それは、世の中は常に変わり続けている、ということです。
昨今では、特にコロナ禍以降、DX(デジタル・トランスフォーメーション)が進み、近い将来には5Gを用いて世の中を運営する時代がやってきます。
かつての常識が、今、単なる時代遅れの習慣でしかない時代に変わりつつあります。
どんなに「安定」を求めても、得られない時代に突入しています。
医者が安定の仕事かといえば、とくに勤務医の労働状況などは大変なようです(医師の友人等からも聞いています)。
特にコロナ禍など、パンデミックなどに直面する中での奮闘をみれば、思いがなければとても続けられないお仕事ですよね。
一般企業もそうです。終身雇用を絶対保証する企業は、ほぼ皆無ではないでしょうか。
たとえ大企業であっても、何らかの経済ショックが発生すれば、明日、倒産するかもしれないのです。
それどころかある大企業の社長が「45歳定年制」を提案したところ、炎上しました。
でもそれは企業の本音なわけです。
そして政府も、ここ数年、副業の積極的な推進に力を入れるようになりました。
終身雇用制という、古き良き日本のスタイルが主流だった頃とは、社会の枠組みがかなり変わってきているのです。
時代の変化は容赦なく人をふるいにかけていく
時代を離れて、人間は生きていくことはできません。
人間はいつの時代も、「時代の中で生きていく」ものなのです。
平時には平時の生き方があり、乱世には乱世の生き方があります。
そして今は安定期ではなく、新たな時代への移行期にあたります(乱世の始まり)。
一方で学歴主義は、いわば「安定期」におけるふるいのかけ方なのです。
平時と乱世では、その時代を乗り切るために必要な価値観が異なります。
すると新たな価値観を模索して、旧来とは違う選択肢をとる人が出てくるのは、当然の流れといえますし、その変化に対応できないと淘汰されるだけです。
歴史をみてもそうですよね。
家柄と教養を競った平安貴族は、たたき上げの鎌倉武士によって追いやられました。
その後、織田、豊臣、徳川と乱世を制し、数百年もの間、天下をものにしてきた武士たちですが、明治維新から文明開化(近代化・西洋化)の流れの中で一掃されました。
現代においても、「デジタルディバイド」という言葉に象徴されるように、「ザ・アナログ」の権化だったじーちゃん、ばーちゃん世代が、スマホの使い方教室に通って学ばないと、世代間のコミュニケーションがとれない時代になってきました。
時代への応戦は「学び直し」によって可能に
昨今、時代の変化を作っている大きな要素は、IT技術の伸展です。
今、すさまじい勢いで進んでいます。
ビットコインなど暗号通貨で儲けるのに学歴は必要ありません。
むしろそうでない方の中から次々と「億り人」が生まれています。
高学歴の人の生涯年収など、軽く超える人々が続々と出ています。
すると人によっては、「いい学歴」→「いい企業」のルートをまったく目指さなくても、そうした人々以上の経済状況を悠々と達成できてしまうのです。
ユーチューバーやSNSのインフルエンサーの方々などもそうです。
一方で企業でしっかり頑張りたい、という方々も多いです。
というよりそう思っている人がまだ、大半でしょう。
ぼくも会社員です。
企業も求める人材像が、学歴主義から人物本位に移り、「特技」や「プログラミング言語」など、経歴よりも「何ができるのか」を重視するようになっています。
そして企業の今後の生き残りに必要ない人には、「早期退職」を勧めるところも増えています。良心的なところなら退職金を少し上積みしてくれるといった具合です。
こうしたの時代の変化に応戦するには、どこまでいっても「自分が変わる」以外にありません。
そのためには、「学び直し」をするしかないのです(結論)。
そして会社員であれば、だいたい7年ごとぐらいで大きく役割が変化していくので、「学び直し」は今の時期に限らず、ずっと続きます(万年ヒラ社員を決めておられる場合は、別ですよ)。
なので「生涯学習(lifelong learning)」を意識することは、生きている限り、飯を食べていくことと同じくらい必然的なことになるといえるでしょう。
学歴よりも大事な「変化に対応し続けられる力」
どこまでも「実学をいかに鍛えるか」がカギとなります。
それは会社での立ち位置を強化する知識・スキルの習得で行うこともあれば、副業・複業を育てる中で身につけることもあるでしょう。
ぼくも前者は資格取得を通じて、後者はこのブログを通じてスキルの幅を広げていきたいと思っています。
その意味で、学歴自体へのこだわりは、もはや価値を生みません。
この戦いに学歴そのものはまったく役に立ちません。
実力重視という点では、学歴を気にされる方にとって、逆転のチャンス到来とみることもできるでしょう。
また、そもそも学歴は、弁護士や公認会計士などの資格と違い、法律で保護された「業務独占資格」ではありません。
もちろん学歴は、学士、修士、博士といった「学位」を示しており、就職では、大卒・高卒の違いで給与待遇などが変わることがあります。
でもそれは「入口」の話であって、日常の業務で常に行使できる権利というものは特段ないのです。
また、たとえいい大学を出ることができたとしても、人間性に問題があったり、偏りのある人は、むしろ「いい大学」というのが際立ってしまい、揚げ足を取られやすく、つまづきやすいのです。
「偏差値が高い人」から、「偏差値だけが高い人」へと周りの評価が変わってしまうわけです。
ある程度の人望がなければ、チームでやり遂げるといった大きな仕事を、責任者として任されることはなくなります。
一方、社会的責任が高くなればなるほど、必要になってくるのは「総合力」であり、「人間力」です。
現場はいずれ、自分がいてもいなくても回っていくようになるからです。
個人の「業務スキル」の提供よりも難しい、「チームを率いて勝利できる能力」が、問われてくるのです。
まさに社会から求められる資質が変化し、「学び直し」が必要になる局面ともいえます。
しかも、その上にです。
「チームを率いて勝利できる能力」の前提となる、「相手の心をつかむ力」や「適材適所を見抜く力」、さらにいえば「将たる器」 「将の将たる器」 というのは、まったくといっていいほど学歴と関係がないように思います。
むしろ若いときにうまくいかず「遠回りをし」「挫折の苦しさを知り」、それでも「なにくそ!」と社会に出てから力をつけ直した人のほうが、余計な苦悩が多かった分、人として成熟し、「幅広く相手の立場に立つ度量」「気持ちを理解したうえで手が打てる対応力」また「タイプの違う人間を受け入れていく包容力」などへと人生経験が転化される可能性が高いように思います。
挫折や失敗は、一時だけ見れば負けた格好をとっていても、長い目で見れば、むしろ人間性の引き出しや奥行きを増やすことになるわけです。
だからこそ、途中の勝ち負けで腐らず、あきらめずにやっていくことが大事ですね
どんなに賢く、どんなにいい大学を出て、どんなにエリートだったとしても、責任ある立場や能力を自己の保身にしか使わず、他人を傷つけたり、大事な情報を改ざんしウソにウソを重ねるために使うような人は、人としての器は間違いなく「Fランク」ですからね。
それ、ほんとサブい
「大学合格までが栄光のピークだった」みたいになってはいけないわけです。
社会から求められる資質が変わると、上下は逆転する
ところで「社長が最も多い大学ランキング」で、2021年に11年連続で1位だったのは、日本大学とのことです(もちろん日本大学は、1学年の定員数が他大学より多い、というのも影響していると思います)。
するとおそらく、その社長のもとで働く東大、京大、慶応、早稲田など、有名大学の方々も多くいらっしゃることでしょう。
ここが人生の面白さであり、筋書き通りにいかないドラマでもあるわけです。
社会から求められる資質が変わると、上下は逆転するのです。
例えていうならば、世界最速の100m記録を持つ現役時代のウサイン・ボルトがあなたの目の前にいたとします。
彼と短距離走で勝負する限り、世界の誰一人、彼を負かすことはできないでしょう。
彼に勝てる確率は0%です。
しかしジャンケンならどうでしょう。
小学生でも勝ちます。
あいこを除けば50%の確率で勝つのです。
これが勝負の土俵が変わってしまったときの怖さです。
これと同じことが、学歴の世界でも起こります。
学歴の戦いでは敗れた人が、その後、別の土俵で取り返しに来るわけです。
人生は思っている以上に長いのです。
とはいえ現在も、学歴が一定期間通用する時期はありますし、学歴を得た過程で培った情報処理力は社会でそのまま役に立ちますので、これについては別の機会に書かせていただきます。
いろいろ述べてきましたが、
時代が活躍を求めるのは、時代の要請に応えられる人です。
そしてそれは、過去の到達点にすぎない「学歴」ではなく、「強み」を生かし「変化に対応する力」「変化に対応し続けられる力」によって時代に適応し、未来を作っていける人です。
そうした時代がすでに到来している昨今です。
その時代の要請に応えていくカギこそ「学び直し」なのです。